3−3(2)旧型客車(山陰・南紀)
1982年2月 さよなら 夜行鈍行はやたまB寝台と名松線

2月27日 曇

豊橋
二俣線の気動車
時刻表に2月28日から客車鈍行はやたまの寝台が連結しないと書いてあった。いよいよB寝台の廃止ではやたま(の愛称)が無くなると思い、最終列車に乗りに行った(実は、理由は分からないが、期間限定でB寝台を連結しないのであって、はやたまのB寝台廃止はさらに2年先の1984年2月であった)。

27日
小田原14:00発のこだまで新大阪へ向かった。発車してすぐにきれいなお姉さんがサンドウィッチを車内販売に来たので買った650円。熱海で14号車の半分の客が降りた。静岡と浜松で1組ずつ新婚さんが乗ってきた、どこへ行くのだろう。
名古屋
117系
米原
キ555
天王寺
9番線にオハネフ12-13から推進で、はやたま入線
17:41新大阪着、桜島線と東羽衣支線に乗って、113系快速で20時前に天王寺着。こっちのドアのステッカーは「ゆびをつめないように」と書いてあり関西らしいなあと思った。夕メシを食べに改札を出る。1時間程で駅に戻り入線を待つ。天王寺9番線に、はやたま入線、早速B寝台1号車5上段へ行き荷物を置く。924レはやたま23:00天王寺発、同じ1号車にレールウェイライターの種村さんが、ファンらしき方数名と、乗りに来ていた。23:54和歌山着、連結作業を撮りに行ったら丁度フイルムが終ってしまい、見学だけした。

※ストロボ不調の為、暗い写真でスイマセン
 
オハネフ12-13は新宮まで
 
カマはEF58 99
 
オハネフ12-13車内
 
俺の寝ドコ
和歌山
和歌山市からの4924レを連結する
 
        編成表 ←和歌山  天王寺→
EF58 99 スユニ50-2053 オハフ33-1526 オハ47-7 オハ47-308 オハフ33-354 オハネフ12-13

2月28日 曇

紀伊田辺
夜更けの寝台車
新宮
明け方の構内
0:17海南で、野上電鉄の電車を見た。ベッドで一時間くらい横になり旧客寝台を味わった。1:55〜212紀伊田辺、バルブ撮影した。種村さんは、デッキでファンらしき方々とまだ、お話をしていた。その後また、ベッドでうつらうつらした。4:40紀伊勝浦発、寝台車から普通車に移動した。座席は半分弱埋まっている。隣の関西弁のおじさんが話かけてきたので、今日の乗車の目的等を話した。5:07新宮着、ここで寝台車の切り離しの為40分停車。ホームに気動車の急行きのくにや急行紀州が入線してきた。5:48新宮発、種村さんはここで下車された。ファンの方々はそのまま乗っていた。6:25熊野市で、特急紀伊が1番線に停まっていた。6:40陽が出てきた。6:48新鹿で、気動車鈍行と交換した。
 
急行 きのくに
 
紀州熊野路弁当1000円
熊野市
特急紀伊 14系
 
オハフ33-354
新鹿
6:48 鈍行 キハ55
尾鷲
オハ47-7
7:27尾鷲着(ここでも25分停車)、名古屋まで行く924レ(はやたま)とはここでお別れだ、924レはこの先5時間半かけ名古屋へ向かう(12:57着)。牽引機のDD51-770を撮って改札を出る。7:40尾鷲発(キハ80-98)、南紀2号で松阪へ向かう。
 
7:27 924レ(はやたま)の非電化区間の牽引機 DD51-770
井関
 
9:19松阪着、5分乗り継ぎで名松線に乗り伊勢奥津へ一往復した。伊勢奥津は雰囲気の良い終着駅だった。松阪12:35発(キハ28-2316)、急行紀州2号で名古屋へ。津を出たあたりで「赤福は、いりませんか?」と車内販売が来た。家と近所のお土産に2つ買った。13:08〜18亀山で、3番線で一旦客を降ろしてドアを閉め、機関区の方へ入換え、バックで1番線に入り奈良からの急行かすが2号と連結した。この後の急行紀州4号は、亀山で急行かすが4号と連結するだけではなく、手前の柘植では京都からの急行平安と連結する3階建て列車だ。
家城
上リ鈍行と交換
伊勢奥津
駅舎
 
給水塔
 
キハ40-2134
 
サボ
家城
下リ鈍行と交換 キハ55-224
 
DD51-712
 
お座敷客車
0系
ビュッフェのスピードメーター
14:18名古屋着、新幹線に乗換える。15:00発のこだま258号で帰路についた。ビュッフェで買った日食の焼肉ごはん750円がすごく美味かった。ビュッフェのスピードメーターは200キロを指していた。小田原17:10着、小田急に乗換え、家には18時前に着いた。